キープ・イット・リアル?

最近改めて、日本にヒップホップは定着していないし、これからもすることはないだろうな、と思いました*1。もちろん、日本のヒップホップファンは世界有数の熱心さでしょう。僕が意図するのはそうではなく、ヒップホップという文化の社会的な受容がなされていないということです。たとえば未だ大勢の日本人にとってヒップホップとは「YO! YO!」であり、「DQNの聴く音楽」であり、腰パンにエイプの服だと思います。そして悲しいことにこの認識はたぶん10年前から変わっていない。音楽好きな人を例に取ってみても、ロキノン系(この定義はもはや死滅しつつありますが)やインディーロックが好きな人はまず間違いなくヒップホップについての知識が皆無です(個人的な経験に基づく)。サンプリングやリミックスといったヒップホップがもたらしたテクノロジーがなければおそらく現代のポップミュージックは成立しないであろうにも関わらず「あんなの音楽じゃない」という人が存在することにも驚きを隠せません。ロックファンがオルタナティブとして、「あえて」という免罪符のもと聴いていたアイドルがいまやごく普通に受容されている状況を鑑みるに、現在問題にされるべきは「アイドルのジャンル間における断絶」ではなく、「ヒップホップのジャンル間における断絶」ではないかと思うし、ヒップホップほど他ジャンルから断絶した音楽はないのではないかと思うのです。「好きか、知らないか」このどちらかに極端に分化しているのが現実ではないでしょうか。

そういった意味では、ヒップホップについての世間の認識にはかなりのズレがあると言わざるを得ません。A Bathing Apeのようなブランドがかつて振り撒いた希薄化された「B系」というイメージ*2、「チェケラッチョ!」を連呼するラッパーのイメージといった、分かりやすい記号ばかりがメディアによって繰り返し再生産され消費されています*3
そしてそのような文化の表層的な受容や記号消費は受容者に留まらず、発信者さえも浸食している状況が存在します。そもそもヒップホップはファッション的に記号化されやすい性格を持っているのは疑いようのない事実*4ですが「ペアレンタル・アドバイザリー・ステッカー*5」を模倣したアートワーク*6や「ストリートへの接近が表現にリアルさを生む」と考え麻薬密輸に手を染め海外で逮捕・収監されてしまったB.I.G. JOE、アメリカのラッパーに憧れ一念発起して渡米し後天的バイリンガルMCとなったKojoe*7などはそういった記号消費の落とし子と呼べるでしょう。消費され続ける絡み合ったイメージの塊は、もうどうすることもできないくらい複雑なものになっているのではないでしょうか。

でも、僕はもっと、ヒップホップって気楽で、そして何より楽しいものだと思うし、いろいろな音楽への扉を開けてくれる素晴らしい音楽だと思います。最初にも述べたように、この国におけるヒップホップの受容は10年前から思考停止したままで、それが変わることはない気がします。それとも、僕は悲観的なだけでいつか本当の意味で日本にヒップホップが根付く時が来るのでしょうか。

という、取りとめもないことを「証言」のライブ映像を観ながら考えたのでした。

*1:この記事では「ヒップホップ」はそれを構成する「ラップ、DJ、グラフィティ、ブレイクダンス」の四要素の総称として、また、「ヒップホップ・ミュージック」の同義として、そしてそれらすべてをひっくるめた文化、ライフスタイルのことを指します。なので、ちょっと分かりにくいところがあるかも。

*2:ちなみに、未だに「B系の」人が履いているティンバーランドのブーツは90年代初頭にアメリカで一世を風靡しましたが、今履いているB-BOYは少なくともアメリカには誰もいません。「B系の」人のヒップホップの受容にも大きなズレがあります。

*3:今や新しい日本語になったと言っても過言ではない「ディスる」も、TBSのテレビ番組「リンカーン」の1コーナーで「練マザファッカー」が取り上げられたことに端を発するものです。今でもよく覚えていますが、その当時僕は高2で、放送翌日に学校に行ったら同級生たちがみんな「メーン」や「ディスってんの?」を連呼していて、放送を見ていなかった僕はただただ圧倒された記憶があります。

*4:RUN−DMCのカンゴールのハット、アディダスのジャージ、スーパースター! それからダイヤの指輪に金のネックレスを身に付けベンツを転がすギャングスタたち!

*5:FUCKなどのタブー・ワードや卑猥な表現が含まれていることを示す警告ステッカー。80年代半ばに導入されたが、合衆国憲法に規定された言論の自由を侵害するものとして大きな議論が巻き起こった。反対運動の先鋒に立ったのが、かのフランク・ザッパで、86年のアルバム「ザッパ検閲の母と出会う(原題Frank Zappa Meets the Mothers of Prevention、ザッパのバックバンド、The Mothers of Inventionのもじり)」はPAステッカー問題をテーマにした作品である。

*6:「ストリートの言葉」で綴られる以上ラップはタブー・ワードを高確率で含むものであり、ステッカーが必ず貼られることになるが、日本のラッパーや一部のロックバンドがこれを「カッコいい」記号として、またアートワークの一部として採用する例が散見される。個人的にはザッパを始め先人達が言論の自由を守るために戦い敗れたこと、「このレコードは検閲されていますよ」ということを示す焼印であると考えている。何も知らない日本人が「カッコいいから」という表層的な理由で形だけを真似るのはこうした先人達の努力を踏み躙るものであり、それこそ「権力への闘争」を掲げるヒップホップやロックの美学に反するものではないかと思うのだ。

*7:参考URL: https://www.youtube.com/watch?v=qrBKuVkd8cU、Kojoeの英語はまるで黒人のようですし、ラップのスキルもしっかりしています。しかし、この上っ面だけすくったようなところは吐き気がしますし、黒人のモノマネしながら何が日本人のアイデンティティだ、とむかつきます。

君の、未来へ、つながるレアグル中心

4月になりました。三寒四温も治まり、新しい季節。今回は軽めに最近聴いたレコードをいくつか。


Martha High / Martha High(1979)

もともとジェームス・ブラウンのバンドで歌っていた人らしくプロデュースもJB。ノリのいいビートに決まる必殺の泣きメロはとにかくポップでファンク入門篇にぴったりだと思いました。音処理なんかクラブ・ミュージックにも繋がる雰囲気があったりしてフェニックスが好きなインディ少年少女も抵抗なくスッと入れる気がします。"Oh,This Feeling"という曲がまんまシェリル・リンのヒットナンバー、"Got To Be Real"で、これ大丈夫やったんか…と思ってしまいました。


アルバム屈指のキラーチューン、"He's My Ding Dong Man"。



Joe Farrell / Moon Germs(1972)

サンプリング・ソースとしてもよく知られるサックス/フルート奏者の72年作。ハービー・ハンコックスタンリー・クラークジャック・ディジョネットという手練で固めた鉄壁のアンサンブルはカルテットと思えない厚みがあって素晴らしい。"Great George"はテナー・サックスが怪しげに駆け巡るBPM速めのジャズ・ファンクで、終盤唐突にドラム・ブレイクがキマる酩酊感のあるナンバーです。目玉とキュビスムっぽい造形物が組み合わさった怪しさ満点のアートワークもいいですね。



Freddie Scott / I Shall Be Released(1970)

ロード・アイランド出身のディープ・ソウルシンガー。60年代初頭に一世を風靡したようで、ビズ・マーキーのクラシック"Just a Friend"の元ネタにもなっています。このアルバムはあまり話題にならないようですが、見逃すわけにはいきません。とにかく捨て曲がなく、8曲30分というサイズ感も素晴らしい。まさに「魂」を削り出したような珠玉の名盤です。確認したところCD・レコードともに一切再発されていないようで(Martha HighもLPオンリーのようです)、ぜひリイシュー化していろんな人に聴いてほしいですねー。

それではまた次回。

ピックアップ:Brothertiger, "Lovers"


個人的に、チルウェイブと呼ばれるジャンルは好きではない。
「はいはーい、アートっぽいことやってるでしょ、お洒落でしょ」というスノッブさが気に食わないからだ。

アートをやることに否定的なのではない。
やれアルバム・コンセプトがどうたら〜とかやれ現代の空虚さを映し出した音楽性が〜とかそれはそれで立派なことである。否定はしない。
でも、いろいろ考えながら聴く音楽なんてものはえてして健全ではない。
21世紀という時代は混沌とした、空虚な、どうしようもない時代なのかもしれない。しかしその混沌も空虚さもどうしようもなさも全部握りつぶした上で頭をからっぽにして踊れる音楽こそポップ・ミュージックとして価値があるのではないかと思うのだ。

インディ・ミュージシャンがよく口にする「消費されない音楽」というクリシェ化した言葉ほどくだらないものはない。消費されない音楽?この全てが取り込まれデータ化され等価値に置かれるインターネット社会において消費されない音楽など存在しない。僕たちが生きているのは何もかもが輪切りにされるような、そんな時代だ。

Brothertigerだなんて、まただっさい名前だなあ、なんて思いながらこの曲を再生したのは輪切りの見本市たるYouTube上でだった。調べてみると2年も前に流行った曲らしい。ここらへんはつくづくトレンドを知らない自分の知識欲の無さに呆れるばかりである。たまたま関連動画に上がっていたから。聴いた理由は、ただそれだけだった。
すると曲もミュージック・ビデオも全部ださくてつい笑ってしまった。

エルヴィス・プレスリーが腰を振りながらそれまで極めてドメスティックな音楽であったロックンロールをマス・マーケットにぶちまけてから60年ほど経つ。音楽環境を巡るテクノロジーも充分すぎるほど発達し、ポップ・ミュージックの歴史においてもうこれ以上大きなイノベーションは起こらないのかもしれない。これからを生きるミュージシャンにできるのは先人の遺した財産をゆっくり、しかし急速に食いつぶしてゆくことだけなのかもしれない。
コーラスで繰り返されるのは「俺は何にも問題ないよ、ほら大丈夫だって」というなんともからっぽな、楽観的な言葉である。
—全ては過去の焼き直し、でも、それでいいじゃん—そんなヤケクソな、諦念に近いようなものを私はこの曲に感じた。

10年前にやっていたらあざとい、で終わっていたかもしれない。しかし一周回ってそう感じなくなる。それが2014年のリアリティである。

素晴らしきブレイクビーツの世界

サンプリングの道も、ブレイクビーツから。
以前サンプリングについての雑な記事を上げましたが今日はヒップホップの核とも言えるブレイクビーツについて書きたいと思います。
ブレイクビーツとはその名の通りビートを分解(ブレイク)して作ったものです(なんのこっちゃ)。
古いファンクやソウルの曲はイントロや曲の途中でドラムソロがあることが多く、これをサンプラーで抜き出して新しいパターンを作ったりループさせたものがヒップホップのビートになっているわけです。

その起源については諸説ありますがジャマイカからの移民であった偉大なDJクール・ハークが始めたものとする説が有力。
70年代に隆盛したブロックパーティーと呼ばれる街頭での音楽集会でDJがファンクやソウルのレコードをかけ、観客を踊らせるために曲の最も盛り上がるドラムやベースだけになる箇所(ブレイクダウン)を延々繋ぎ続けたことがヒップホップの直接のルーツで、その発祥からしてダンス・オリエンテッドな機能的な音楽でした。
さらにブレイクをバックにMCがボースティングと呼ばれる語りを入れたのがラップの始まりです。
元々はジャマイカでレゲエのレコーディング中にたまたま発見されたもので、レゲエとヒップホップは兄弟のようなものだと言われるのはこれが理由です。


DJクール・ハークのブロック・パーティーの様子

その歴史や美学についてはトリーシャ・ローズ著「ブラック・ノイズ」やジェフ・チャンの800ページにも渡る大著「ヒップホップ・ジェネレーション」に詳しいです。前者は学術論文レベル、後者は言わずもがなの分厚さで読むのに体力を使いますが読み物として非常におもしろいので関心のある人はぜひ読んでみてください。

ブラック・ノイズ

ブラック・ノイズ

ヒップホップ・ジェネレーション 「スタイル」で世界を変えた若者たちの物語

ヒップホップ・ジェネレーション 「スタイル」で世界を変えた若者たちの物語

さて、ヒップホップの歴史においてDJたちは古今東西のレコードの山から誰も聴いたことがないブレイクスをこぞって探してきたわけですが、その中にもやはり定番と呼ばれる、好んでサンプリングされるものもありました。
一例を挙げてみましょう。


Amen Brother / The Winstons(1969)

こちらの曲はThe Winstonsが1969年に発表した"Amen Brother"という曲で、1分26秒からの強烈なブレイクは恐らく歴史上最も有名な6秒間です。
オンライン・サンプリング・ディクショナリー「Whosampled」によるとなんと1000曲上もの曲にサンプリングされたようで、またそのドラムのリズムパターンは「アーメン・ブレイク」とも呼ばれウィキペディアで個別の項目が作られるほど、ヒップホップのみならずさまざまなジャンルに多大な影響を及ぼしたブレイクビーツなのです。

僕もヒップホップ好きの多分に漏れずファンクのレコードに登場するブレイクスを聴いて興奮するたちなのですが、つくづくヒップホップとは曲を構成するパーツに美意識を見出だすフェテシィズムの音楽なのだと思います。以前音楽編集ソフトを使ってドラムのループを作った時も(綺麗なワンループを作るのもシンプルに見えて結構難しいことが分かりました)「ああこのリズムパターン美しい、永遠に聴けるわー」と思っていました。
先日放送されたドラマ「最高の離婚スペシャルにおいて真木よう子が男女の恋愛観の差違に言及して「結局男の子はプラモデルが好きで、女の子はお人形が好きなのよ。」という迷台詞を吐いていましたがあながち間違いではないような気もします。ヒップホップ好きは男性が多いように女性にはいまいち理解できないポイントなんでしょうか。僕は女性ではないのでよく分かんないですが。

さてここからは極私的ブレイクビーツTOP5と題しまして僕がかっけーと思っているブレイクスを紹介します。

1.It's a New Day / Skull Snaps(1973)

0秒から。これも最も有名なブレイクスのひとつ、スカル・スナップスの1973年の曲です。ジャケを見て「ヘビメタ?」となりますが、いいえ、ヘビー・ファンクです。金属質なスネアとキック、ハイハットが絡み合う様は何度聴いてもたまりません。僕が一番好きなブレイクスです。
こちらを使った曲の例としては


読んで字のごとく、レペゼンブロンクスのデュオ、Bro-N-Xのアングラ・クラシックです。12インチ一枚のみしか出していないようでネットで検索しても日本語の情報はほぼ皆無でした。恐らくレコード屋で奇跡的に出会うことがあっても目玉が飛び出るような価格でしょう。いずれにせよメロウな上ネタとハードコアなラップがビートによくマッチしています。

2.Shack Up / Banbarra(1975)

1分44秒から。猛烈にフリーキーなブレイクスです。ちなみにShackとは英語で「小屋」という意味でそれをUp(=建てる)する=同棲しようぜ!みたいなニュアンスのようです。あくまで憶測ですが。とにかくシンプルなリフが病みつきでものすごく踊れる曲ですね。「ハァ〜」のコーラスも耳にこびり付いて離れません。
さてこのブレイクス、あまりにも明快なダンス・ビート過ぎて使いづらいのか意外にもヒップホップの曲にはあまりサンプルされずダンス系の曲に使われているようです。
しかし、数は少ないですがヒップホップの曲にもしっかりとサンプルされています。


業界随一の奇才もとい変態、クール・キースが変名プロジェクトDR OCTAGONとして発表した"I'm Destructive"がそうです。下手すればダンスになりすぎるビートを上手く乗りこなすキースのラップも然りですがハードなギターリフというロックの要素を合わせながらそれをしっかりとヒップホップに落とし込むダン・ジ・オートメーターことダン・ナカムラ氏の才覚には脱帽するばかりです。

3.(Sittin' On)the Dock of the Bay / Peggy Lee(1969)

0秒から。ペギー・リーと言えばしっとりとした曲で有名な歌手で、あまりサンプルされるイメージはありませんが、このオーティス・レディングのカバー曲ではなぜか恐ろしいほどのブレイクの応酬が繰り広げられます。かっこいいですね〜


言わずもがな、ビースティズの件の「チェッ、チェッ、チェッ、チェッ、チェケラ!」の元ネタです。どうやらこの曲が初出っぽい。よく見つけてきたな…。

4.Supermarket blues / Eugene McDaniels(1971)

0秒から。ユージン・マクダニエルズの大名盤、"Headless Heroes of the Apocalypse"の中でも僕が特に好きな曲の一つです。サンプリング目線から見ると冒頭のブレイクスはやや短すぎるのか、確認した内では一回も使われたことがないようですが、全編ファンキーなビートに満ちた名曲です。音楽編集ソフトで遊んでいた時も真っ先にこの曲をサンプルしました(ちゃんと立派なブレイクビーツが出来上がりました)。

5.Apache / Incredible Bongo Band

0秒、2分23秒から。僕がこの世で最もテンションが上がると思っているかつ定番を通り越したような曲です。やいコラ踊れやと言わんばかりのずっしりしたビートに絡むボンゴの軽快な音。B-BOYの国家と言っても過言ではないでしょう(メロディもなんか国家ぽい)。この曲を知らないでヒップホップ好きと言っている人はたぶんモグリです。たぶんそんな人存在しないでしょうけれど…
このブレイクスを使った曲はこちら。


クール・G・ラップの息もつかせぬラップが強烈な一曲です。

サンプル元を探すのは自分の音楽知識に直結する以上にすごく楽しいです。ファンクって素晴らしい。
それではまた次回。

2013年、この5曲

新年明けましておめでとうございます。年末から年始にかけてネット上に数多存在する各音楽ブログでは年間ベスト的な記事が続々と更新され、僕はそれを眺めてただ「はー、これが流行ってたのかあ」なんて思っていました。そこでこのブログでも一応、昨年のまとめ的なものを記しておこうと思った次第です。しかしながらそもそも昨年に出たアルバムで聴いたものは片手で数えられる程度しかないので曲にしよう!となったはいいもののこれも10曲とか20曲とかがきりのいい数字だしまとまった感じがあるのにそれにも届いてすらいなかったので5曲にしました。
生来のめんどくさがりが原因なのか流行を追いかけるのが極端に苦手なのですがそれが年々加速しているといった状況でしょうか。前置きはこれくらいにして早速見て参りましょう。

1.前野健太 / オレらは肉の歩く朝


2013年に出たアルバムは本当に数えるぐらいしか聴きませんでしたが、もしかしたら前野健太を一番聴いたかもしれません。埼玉県出身のシンガーソングライター。日本人化が加速度的に進むジム・オルークをプロデューサーに迎え発表した4作目。昨年のフジロックで大した予備知識もないまま観た後気になってずっとYouTubeで曲を聴いていたのですが(最近はYouTubeでばっかり音楽を聴いています)アルバムが欲しくなり購入。「国家コーラン」、「興味があるの」といったMVが制作されている曲、そして大名曲「東京の空」といった曲たちももちろんいいのですが僕が気に入ったのは軽快なスカの「看護婦たち」、そして本曲「オレらは肉の歩く朝」といったアルバム収録曲でした(これらはYouTubeには音源が無いのでぜひ買ってどうぞ)。
前野健太の声には色気がある。生々しいことを歌ってもそれを感じさせない飄々とした雰囲気がある。タイトル曲「オレらは肉の歩く朝」はピアノの冷ややかな音で始まりだんだんとクレッシェンドしてゆき最後に爆発する言わばマエケンお得意のパターンです。しかしこの曲では例えば「ファックミー」や「友達じゃがまんできない」が持つ激情まで行かない、振りきれない、クールさを保ったままの爆発で、僕はそこがすごくセクシーだと思いました。インタビューにも書いてありましたが、タイトルに特に意味はないようです。詞の「鏡に写った自分は けっこう真面目そうな顔をしていた それがちょっと腹立たしくも、いいと思った」というところがなんかぐっとくる。

2.Fla$hBackS / Fla$hBackS


Jラップシーンは正直全く詳しくありません。普段聴くものもキングギドラとか鬼とかS.L.A.C.K.みたいなメジャーどこばかり。ですが、フラッシュバックスの登場はきちんと押さえていました。なぜなら某有名レコード店の壁面ラックの新入荷商品だけが唯一僕の最新音楽知識のソースだったからです。
川崎という首都圏のゲットー(?) から颯爽と現れた若干18、9歳の3人組。“Fla$hBackS”はダークかつダウンテンポなトラックで後述のジョーイ・バッドアス所属のPro EraだとかOFWGKTAの連中といった「トレンド」とリンクしつつも東京という都市のきりきりした感じもきちんと表れているように勝手に感じています。非常にこれからが楽しみなグループです。JJJのねちっこいフロウとFebbの大口のハッキリしたフロウも好対照。リリックはこれからもっとよくなっていく気もしますが、所々でいいラインがあります。PVで顔しかめて煙ブカブカ吹いてる脇を見たらジュースが置いてあるとか年相応に微笑ましくて好印象だったり。
「やる気 不定期 Style like a 富樫」は2013年最高のパンチライン
“Here”でのうねるドス黒いベースラインも90’sぽくって好きでした。

3.モーニング娘 / 愛の軍団


最近モー娘に興味があります。

4.Joey Bada$$ / Righteous Minds


この曲を収録したジョーイ・バッドアスのアルバム「1999」は2012年にフリー配信されたものなので厳密には昨年の曲ではありません。ですが、わざわざアナログ盤を買いに行った(フィジカル・リリースは昨年でした)ので強引に2013年ということにします。
データで持っているのにわざわざアナログを買ったのはやはり内容がすばらしく良かったからです。僕自身は一つのまとまった作品(アルバム)として音楽を聴くことに少し疑問を持ち始めている節があるのですが形として音源を保持したいという願望はノスタルジックなものなのかもしれません。さて、ノスタルジックと言えばタイトルの「1999」の通り本作は「失われたゴールデン・エラ」=90年代に向けたラブレターのような作品です。打ち込み主体のエレクトロ・サウンドが主流となりヒップホップとEDMの境界線が曖昧になっている現在においてサンプリングに拘ったある種レトロと言っていいサウンドが話題になりました。「1999」という数字は90年代の終わりと戻ることのない過去、そして21世紀という新たな時代の始まりを意味しているのかもしれません。
元ネタはBeatnutsの “Hit Me With That”と同じMonty Alexanderの“Love and Happiness”です。ヒップホップ史に燦然と輝くクラシックのリメイクと言い換えていいでしょう。原曲で鳴り響いていたホーンのような90年代っぽいネタを排除し極力シンプルかつアップテンポにしたことでスマートさが際立たせられています。クラシックを現代的に換骨奪胎する—昨年最もよく聴いた曲のひとつです。

5.tofubeats / 水星 feat.オノマトペ大臣


これも2012年の曲ですがtofubeatsは昨年を代表する人だと思うので取り上げたいと思います。僕個人としてtofubeatsデビューは正直かなり遅かったです。話題になって、話題になって、話題になって、やっと聴いた感じでした。時代性がどうたら、忘却の彼方の90年代がどうたら、アイドルがどうたら、さまざまな切り口で語られる存在ではありますがそれはここで今更言うことでもないし、とにかく言いたいのはこの曲がとんでもなくキャッチーということだけ。僕はMVに登場する仮谷せいらちゃんをボーカルに迎えた“Young & Fresh mix”の方が個人的には好きですが(ちなみにMVでは仮谷せいらちゃんと疑似デートができます。やったねパパ!明日はホームランだ!)。そういえば元ネタのKOJI1200こと今田耕司の「ブロウ ヤ マインド」は全く話題にならないんですね。この曲もテイトウワプロデュースでめちゃめちゃかっこいいです。


こっ、こんなメロウな今田耕司見たことない!!

漂っていける、大丈夫だ。

モデスト・マウスというバンドが大好きです。
何が好きなのか、と聞かれると全部としか答えようがないのですが、強いて言うならその「空気感」でしょうか。うまく説明できないのですが、彼らの音楽は寒い極北の草原に一人ぼっちでいる様を想起させます。この乾いた「真冬の音」が年中荒んでいる僕の心にマッティングしたのでした。

そんな彼らがブレイクスル―したのは2004年に発表した"Float On"という曲がきっかけ。この曲がビルボードのモダン・ロック・チャートの一位を獲得してしまうというインディーロック・リスナーにとってはドシュールなことが起き、結果的にアルバムがアメリカで100万枚売れるというさらにあり得ない事態を引き起こすことになります。それは日本で言うなればボアダムスオリコン1位になって松坂桃李主演ドラマ主題歌になる、みたいな感じでしょうか(すいません適当言いました、でもシュールさとしてはそれくらいのものだと思います)。
さらには人気ラッパー、ルーペ・フィアスコがサビをモロ使い(というか替え歌した)ことによりブラザーたちにもそのキャッチーなメロディが浸透します。

さて、この曲は基本的に4コードのリフをずっと弾いているだけというブロックさんお家芸の循環構造なのですが特筆すべきは相変わらずの唾吐き散らかしヤケクソ唱法を採用していながらも非常にポップということ、そして明確に前向きなメッセージを持った曲であることでしょう。モデスト・マウスと言えば奇妙にメロディアスだけれど決してポップではないし、歌詞もひねくれたものばかりだったはず。しかし、この曲を以てかつて「人間でいることがつらすぎる」と歌った男が「俺たちは漂っていけるから、大丈夫だって」と歌うまでになったのです。まるで更正した不良少年みたいだな。

さて、モデスト・マウスは2013年、アメリカを代表する野外フェスのひとつコーチェラにパッション・ピットとヤー・ヤー・ヤーズに挟まれるという謎の順番で出演しました。1曲目はインディー時代の代表曲にしてド名曲、"Dramamine"と順調なスタートだったのですがレッチリさえもダダ滑る客のノリの悪さにビビったのか、はたまたモテを狙いに行ったのかは定かではありませんが彼らは最後にフロート・オンをやってしまったのです。

正直動画見てて「うわあ…」って思いました。さらによからぬことには今まで静止状態だった客が急にノリ始め、合唱し出すという寒いことになってしまったのです。まるでフェスじゃねえか。フェスだけど。しかも客の知識としては「なんか知ってる曲」程度なので「フロートン!フロートン!」が繰り返されるだけの似非シンガロングによる似非一体感という最悪の展開。個人的には「最後知ってる曲やってよかったねー」という感じで終わらせてしまったことに憤りを覚えました。遺憾よ、遺憾!!

"Tiny Cities〜"を10分ぐらいやって秘技「ギターをマイクにする」を繰り出して客をドン引かせればよかったのに(動画参照)。昔のブロックさんならそうしてるよ、絶対。

先日「アルバム作るから夏のツアーは全部キャンセルすっわ。ごめんなー」と言って顰蹙を買っていましたが、来年リリース予定の新作と7年ぶりの来日に期待したいです。ではまた次回。

追記:個人的な希望なんですが、とりあえず今いるメンバーをほとんど首にしてオリジナル・ラインナップに戻してほしいです。そもそもドラマーが二人いる必要性も疑問だし、天才ベーシスト、エリック・ジュディの地を這うようなベースラインこそ実は最もモデストをモデストをもたらしめてきた存在だと思っています。セカンド・ギタリストは正式メンバーになったみたいだけどコーラスの声が全く聞こえないし。グランダディに帰りなさい。ましてやあのマルチ・プレーヤー的立ち位置のおっさんは絶対にいらない。いつもラッパ吹いてるけどいつまでたっても音出てねえぞ。

雑感1

お久しぶりです。本日は取りとめもないことをつらつらと。

最近はEugine Mc Danielsの超古典"Headless Heroes of the Apocalypse"を今更聴いてロックなんぞもう聴かん!と興奮したり、深夜にElliott Smithを聴いてこの音楽は一生僕に寄り添ってくれるんだろうなあ…としみじみしたり、なんだかふわふわしています。

「音楽中毒」「音楽聴かないと死ぬ」という姿勢を出している人をたまに見ます。別にそれはその人の自由だからいいんだけど、そんなに音楽ばっかり聴いてると疲れちゃうよ、と思う。
そもそも、「音楽中毒」というのはiPodが出てきていつでもどこでも、何曲でも音楽を持ち運べるようになったから生まれたんじゃないかな。イヤホンを装着すればもうあなたは外界の音から遮断される。でも、無限にループする空間に自閉することって健全なのだろうか。

音楽をまったく聴かない日がけっこうあります。本当に、聴きたいとまったく思わない。別に音楽なんて聴かなくても生きていけるし、No Music, No Lifeとかふざけんじゃないわよ、と思うんですが超いい曲を聴いたらやっぱり感動するわけで。そこらへんは僕の中でとってもアンビバレントなのです。

ロラン・バルトが音楽には二種類あって、演奏する音楽と聴く音楽に分けられる、これら二つは全然違うものだ、とシンプルだけどすごいことを言っていて、デバイスばっかり発達した今の時代は聴く音楽に偏ってておもしろくないのかなあと。もっとみんなが気軽に楽器を弾いたり歌ったり踊ったりできる世の中になればいいなと思います。歌うことやダンスすることは人間の根源的な欲求だしね。



人生で見てきたライブ動画の中で最も笑ったもの

演奏開始→と思ったら退場→脚立持って再登場→客席に突き立て広げろと必死でジェスチャー→伝わらない→やっと広げて神輿状にして客席に突撃→興奮した客がマイクを奪う→マイク奪還→腰振り

の一連の流れは何度見ても笑ってしまう。バンドの演奏とおっさんのパフォーマンスは完全に切り離されていて、それでもよく耳を澄ませると後ろでなんかテクニカルなことをやっている、というシュールさ。客がなかなかマイク返さないからちょっとキレて突き飛ばしてるしね。
このバンド、僕は大好きなのに友達に知ってる人が誰もいない。というか日本のメディアでもほぼノーフィーチャー&来日経験なし、のよう。こんなにポップでキャッチーでおもしろくて変態で(たぶん)頭もいいのに。アーケード・ファイアに騒いでないでお前らでんぐり返ってレ・サヴィ・ファブを聴け!