キープ・イット・リアル?

最近改めて、日本にヒップホップは定着していないし、これからもすることはないだろうな、と思いました*1。もちろん、日本のヒップホップファンは世界有数の熱心さでしょう。僕が意図するのはそうではなく、ヒップホップという文化の社会的な受容がなされていないということです。たとえば未だ大勢の日本人にとってヒップホップとは「YO! YO!」であり、「DQNの聴く音楽」であり、腰パンにエイプの服だと思います。そして悲しいことにこの認識はたぶん10年前から変わっていない。音楽好きな人を例に取ってみても、ロキノン系(この定義はもはや死滅しつつありますが)やインディーロックが好きな人はまず間違いなくヒップホップについての知識が皆無です(個人的な経験に基づく)。サンプリングやリミックスといったヒップホップがもたらしたテクノロジーがなければおそらく現代のポップミュージックは成立しないであろうにも関わらず「あんなの音楽じゃない」という人が存在することにも驚きを隠せません。ロックファンがオルタナティブとして、「あえて」という免罪符のもと聴いていたアイドルがいまやごく普通に受容されている状況を鑑みるに、現在問題にされるべきは「アイドルのジャンル間における断絶」ではなく、「ヒップホップのジャンル間における断絶」ではないかと思うし、ヒップホップほど他ジャンルから断絶した音楽はないのではないかと思うのです。「好きか、知らないか」このどちらかに極端に分化しているのが現実ではないでしょうか。

そういった意味では、ヒップホップについての世間の認識にはかなりのズレがあると言わざるを得ません。A Bathing Apeのようなブランドがかつて振り撒いた希薄化された「B系」というイメージ*2、「チェケラッチョ!」を連呼するラッパーのイメージといった、分かりやすい記号ばかりがメディアによって繰り返し再生産され消費されています*3
そしてそのような文化の表層的な受容や記号消費は受容者に留まらず、発信者さえも浸食している状況が存在します。そもそもヒップホップはファッション的に記号化されやすい性格を持っているのは疑いようのない事実*4ですが「ペアレンタル・アドバイザリー・ステッカー*5」を模倣したアートワーク*6や「ストリートへの接近が表現にリアルさを生む」と考え麻薬密輸に手を染め海外で逮捕・収監されてしまったB.I.G. JOE、アメリカのラッパーに憧れ一念発起して渡米し後天的バイリンガルMCとなったKojoe*7などはそういった記号消費の落とし子と呼べるでしょう。消費され続ける絡み合ったイメージの塊は、もうどうすることもできないくらい複雑なものになっているのではないでしょうか。

でも、僕はもっと、ヒップホップって気楽で、そして何より楽しいものだと思うし、いろいろな音楽への扉を開けてくれる素晴らしい音楽だと思います。最初にも述べたように、この国におけるヒップホップの受容は10年前から思考停止したままで、それが変わることはない気がします。それとも、僕は悲観的なだけでいつか本当の意味で日本にヒップホップが根付く時が来るのでしょうか。

という、取りとめもないことを「証言」のライブ映像を観ながら考えたのでした。

*1:この記事では「ヒップホップ」はそれを構成する「ラップ、DJ、グラフィティ、ブレイクダンス」の四要素の総称として、また、「ヒップホップ・ミュージック」の同義として、そしてそれらすべてをひっくるめた文化、ライフスタイルのことを指します。なので、ちょっと分かりにくいところがあるかも。

*2:ちなみに、未だに「B系の」人が履いているティンバーランドのブーツは90年代初頭にアメリカで一世を風靡しましたが、今履いているB-BOYは少なくともアメリカには誰もいません。「B系の」人のヒップホップの受容にも大きなズレがあります。

*3:今や新しい日本語になったと言っても過言ではない「ディスる」も、TBSのテレビ番組「リンカーン」の1コーナーで「練マザファッカー」が取り上げられたことに端を発するものです。今でもよく覚えていますが、その当時僕は高2で、放送翌日に学校に行ったら同級生たちがみんな「メーン」や「ディスってんの?」を連呼していて、放送を見ていなかった僕はただただ圧倒された記憶があります。

*4:RUN−DMCのカンゴールのハット、アディダスのジャージ、スーパースター! それからダイヤの指輪に金のネックレスを身に付けベンツを転がすギャングスタたち!

*5:FUCKなどのタブー・ワードや卑猥な表現が含まれていることを示す警告ステッカー。80年代半ばに導入されたが、合衆国憲法に規定された言論の自由を侵害するものとして大きな議論が巻き起こった。反対運動の先鋒に立ったのが、かのフランク・ザッパで、86年のアルバム「ザッパ検閲の母と出会う(原題Frank Zappa Meets the Mothers of Prevention、ザッパのバックバンド、The Mothers of Inventionのもじり)」はPAステッカー問題をテーマにした作品である。

*6:「ストリートの言葉」で綴られる以上ラップはタブー・ワードを高確率で含むものであり、ステッカーが必ず貼られることになるが、日本のラッパーや一部のロックバンドがこれを「カッコいい」記号として、またアートワークの一部として採用する例が散見される。個人的にはザッパを始め先人達が言論の自由を守るために戦い敗れたこと、「このレコードは検閲されていますよ」ということを示す焼印であると考えている。何も知らない日本人が「カッコいいから」という表層的な理由で形だけを真似るのはこうした先人達の努力を踏み躙るものであり、それこそ「権力への闘争」を掲げるヒップホップやロックの美学に反するものではないかと思うのだ。

*7:参考URL: https://www.youtube.com/watch?v=qrBKuVkd8cU、Kojoeの英語はまるで黒人のようですし、ラップのスキルもしっかりしています。しかし、この上っ面だけすくったようなところは吐き気がしますし、黒人のモノマネしながら何が日本人のアイデンティティだ、とむかつきます。