ピックアップ:Brothertiger, "Lovers"


個人的に、チルウェイブと呼ばれるジャンルは好きではない。
「はいはーい、アートっぽいことやってるでしょ、お洒落でしょ」というスノッブさが気に食わないからだ。

アートをやることに否定的なのではない。
やれアルバム・コンセプトがどうたら〜とかやれ現代の空虚さを映し出した音楽性が〜とかそれはそれで立派なことである。否定はしない。
でも、いろいろ考えながら聴く音楽なんてものはえてして健全ではない。
21世紀という時代は混沌とした、空虚な、どうしようもない時代なのかもしれない。しかしその混沌も空虚さもどうしようもなさも全部握りつぶした上で頭をからっぽにして踊れる音楽こそポップ・ミュージックとして価値があるのではないかと思うのだ。

インディ・ミュージシャンがよく口にする「消費されない音楽」というクリシェ化した言葉ほどくだらないものはない。消費されない音楽?この全てが取り込まれデータ化され等価値に置かれるインターネット社会において消費されない音楽など存在しない。僕たちが生きているのは何もかもが輪切りにされるような、そんな時代だ。

Brothertigerだなんて、まただっさい名前だなあ、なんて思いながらこの曲を再生したのは輪切りの見本市たるYouTube上でだった。調べてみると2年も前に流行った曲らしい。ここらへんはつくづくトレンドを知らない自分の知識欲の無さに呆れるばかりである。たまたま関連動画に上がっていたから。聴いた理由は、ただそれだけだった。
すると曲もミュージック・ビデオも全部ださくてつい笑ってしまった。

エルヴィス・プレスリーが腰を振りながらそれまで極めてドメスティックな音楽であったロックンロールをマス・マーケットにぶちまけてから60年ほど経つ。音楽環境を巡るテクノロジーも充分すぎるほど発達し、ポップ・ミュージックの歴史においてもうこれ以上大きなイノベーションは起こらないのかもしれない。これからを生きるミュージシャンにできるのは先人の遺した財産をゆっくり、しかし急速に食いつぶしてゆくことだけなのかもしれない。
コーラスで繰り返されるのは「俺は何にも問題ないよ、ほら大丈夫だって」というなんともからっぽな、楽観的な言葉である。
—全ては過去の焼き直し、でも、それでいいじゃん—そんなヤケクソな、諦念に近いようなものを私はこの曲に感じた。

10年前にやっていたらあざとい、で終わっていたかもしれない。しかし一周回ってそう感じなくなる。それが2014年のリアリティである。